1月17日を迎えて

 

26年前、まだ本山に勤め京都で生活していましたが、この日はたまたま休みをとって堺にいました。


 朝、強烈な揺れで起こされましす。
 それでもしばらくはテレビの報道も少なく、不思議な気分でした。
 ところが、時間が経つにつれ尋常でない状況が分かってきます。高速道路が倒れている姿を見た時は、現実でない気がしました。


 とても京都に行くことはできないので、数日は堺にいたとおもいます。
 やがて、上司から「単車の免許持ってるやろ。ちょっと水運んでくれ」と電話がありました。単車は持っていないのにです。笑


 言われた通りに難波別院に行くと、ちゃんとスクーターが準備され数人でチームを組んでスタートです。
 大阪は、全く日常とかわりません。ところが車を縫って進んで行くと、どんどん渋滞が始まります。やがて単車も渋滞します。
 甲子園を超えたあたりから景色が一変します。
あまりに渋滞がひどいので、裏道を通ろうとするとアスファルトが30センチの高さで盛り上がっていたり、大きな段差ができているのです。
 結局、大通りを通ることが安全と判断し、ノロノロと進みます。
あの、高速道路が倒れた横も通りました。やはり現実感はゼロです。


 被災されたお寺を中心に回ります。まだ新築だったお寺もありました。あっという間に本堂が人と一緒に潰された。というお寺もありました。
 休憩中に、ふと前のビルを見ると何処か違和感があります。よく見ると、一階の駐車場が全て車ごと潰されていました。一階だと思っていたのは2階だったのです。


 木造家屋の被害は大きく、見たこともない「戦禍」(戦争被害)という言葉さえ浮かんできました。ブルーシートで囲って寄り添うようにされている方々の隣を通る時は、なんとも言えないきもちでした。


 とても寒い一日でした。
やっとのことで難波別院に帰り近所で食事をすると、そこには日常がありました。スクーターで小一時間、この距離で違う世界がありました。日常のなんと儚いことか。
 26年も経っているのに脳裏には映像が浮かんできます。
住職 拝