お盆とは

8月15日 午後7時半からお盆のお勤めをいたします。

お仏壇のお盆のお飾り

上の図を押してみてください。大きくなります。

ナスやきゅうりのお飾りは必要ありません。

お盆は正式には盂蘭盆(うらぼん)といいます。インドの「ウランバナ(逆さ吊りの苦しみ)」という言葉に漢字を当てはめたものです。

 こんなお話が伝えられています。

ある日、お釈迦さまのお弟子目連尊者(もくれんそんじゃ)が、亡くなったお母さんが極楽浄土でどう過ごしているのか、自慢の神通力をつかって覗いてみました。

 すると、あろうことか、優しかったお母さんは、餓鬼道におちて「逆さ吊り」のような苦しみを受けていました。お腹が減って、目の前にあるご馳走を食べようとした途端、ご馳走が炎と変わり身を焦がすのです。欲しくてたまらないものが、目の前にあるのに手に入らない、まさに地獄の苦しみです。


 目連尊者はお釈迦さまに訴えました。

「なぜ、優しかった母が餓鬼道に落ちているのでしょうか。また、この母は、どうすれば救われるのでしょうか」

 お釈迦様は答えます。

「目連よ。子に優しい親が、全ての人に優しいとは限らない。多くの親は、我が子のためには、周りから鬼と言われるのを厭わない。また、この罪の深さは一人で救えるものではない。今、まさに夏の研修会を修了する多くの僧がいる。この僧にご馳走をもって供養し、その功徳によって母を救いなさい」と。


 この経説が行事になったものがいわゆるお盆です。

ところが、今日では、ご先祖の霊を迎え入れ、ご先祖のために功徳を積み、再びあの世へお見送りをする、という考え方が付け加えられているようです。


 しかしお念仏の教えに出会われた亡き人は、ふわふわと、迷われているわけではありません。

むしろ極楽浄土から私達に「大丈夫ですか、「逆さ吊り」になっていませんか、頼りにならない物を大切にして、本当に大切なことをないがしろにしていませんか?」と絶えず心配される「諸仏」の一人になっておられます。


 そもそも、仏さまとなった亡き人に、私達が、功徳を足す必要があるのでしょうか。また、ふわふわしているのは残された私たちではないでしょうか。

 ですから、私たちは、霊が迷わないようにと迎え火や送り火をしたり、精霊流しをする必要はありません。また、霊を乗せる牛をナスで作ったり、キュウリで馬を作ってお飾りする必要もありません。

 

 お盆というご縁を、ご先祖・亡き人を偲び、お墓参りとともに、心静かにお内仏(お仏壇)の前に座り、お念仏の教えにわが身をたずねていくという、本来の姿としたいものです。