永代経とは
永代経とは、お念仏の教えに自分を訪ね、この営みを次へ次へと伝えていく感謝と責任の法要です。
そもそも『永代経』というお経があるわけではありません。字のごとく「永代(末の代)まで、亡くなった人をご縁としてお経を伝えていく」法要なのです。
また「永代祠堂経(えいたいしどうきょう)」とも呼ばれます。祠堂とは、本堂のことを指し、永代にお経を伝えるために、その御堂を支えていくという意味も込められているようです。
また「永代祠堂経(えいたいしどうきょう)」とも呼ばれます。祠堂とは、本堂のことを指し、永代にお経を伝えるために、その御堂を支えていくという意味も込められているようです。
では、何故読経するのでしょうか。すぐ思い浮かぶことは、「亡くなった人を永代に供養していくこと」かもしれません。
故人やご先祖を思う気持ちは、本当に大切で尊いことです。しかしよくよく考えてみれば、ご先祖も亡くなられた方も、すでに仏様(諸仏しょぶつ)になられております。どうでしょうか「娑婆(しゃば)世界」に生きる迷い悩み多い私たちが、迷いの世界を超えた仏様をはたして「供養」できるのでしょうか。
実は、娑婆という言葉の本来の意味は耐え忍ぶということです。「ん~そんな大げさな。毎日毎日耐え忍ぶ生活って?」そんな声が聞こえそうですが、お釈迦様はもっとはっきり「一切皆苦、人生とは苦である」とおっしゃっています。
やっぱり「大げさな!」っていう声が聞こえそうです。ところが、お釈迦様は「四苦八苦してるでしょ。」とおっしゃいます。四苦とは「生老病死(しょうろうびょうし)」です。私達は気が付いたらこの世に生まれ、知らぬ間に年を重ね、病を患って死んでいく。
「ああ、そんな話は聞きたくない」今度は、こんな声が聞こえそうです。本当に、できたら触れずにおきたいことです。でも、ほっとけないでしょ。時間は止まらないし、ほかならぬ自分のことですもの。
さて、お経は、呪文ではありません。2500年の昔、お釈迦様が説かれた仏様の教えを、弟子が文字にまとめたものがお経なのです。
善導大師(ぜんどうだいし)という中国の僧侶は「経教はこれをたとえるに鏡のごとし」という言葉を残しています。お経は、私のありのまま全てを映す鏡だというのです。その中には見たくないものも見えてきます。
そして、この大きな鏡の前に身を運ぶ「ご縁」を作ってくださるのが、無数の亡き人ご先祖なのです。
私たちは、ご先祖のことを思い供養しようと考えがちですが、本当は逆なのかも知れません。いつも心をかけ心配してくださっているのは、仏様となられた亡き人ではないでしょうか。「大丈夫ですか?心の眼を閉じていませんか。どうぞ真実のみ教えにであって限りある人生を人間として大切に送ってください」こんな励ましが聞こえてきそうです。
この声に応えることこそ、本当の「供養」ではないでしょうか。
住職 拝